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私の好きな音楽家たち

Danny Boy - Bill Evans [Empathy]
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思い立ったら記述していますので読んで下さいね

■  好きな音楽  Jazz,  Bossa Nova,  Blues,  R&B,  Rock,  Pops,  Latin,  Screen Music,  Christmas Song etc.​ 要するに何でも好き。

 

■ 好きなミュージシャン

ウェス・モンゴメリー(gt)、グラント・グリーン(gt)、ケニー・バレル(gt)、ジョージ・ベンソン(gt)、パット・マルティーノ(gt)、ボビー・ブルーム(gt)、ジョー・パス(gt)、エリック・ゲイル(gt)、コーネル・デュプリー(gt)、デビッド・T・ウォーカー(gt)、アール・クルー(gt)、アルバート・キング(gt)、B・B・キング(gt,vo)、ジョニー・G・ワトソン(gt,vo)、マーク・ノップラー(gt,vo)、アルバート・リー(gt)、マイルス・デイビス(tp)、リーモーガン(tp)、チェット・ベーカー(tp,vo)、ジョン・コルトレーン(ts)、デビッド・ニューマン(ts)、スタンレイ・タレンタイン(ts)、ソニー・ロリンズ(ts)、グロバー・ワシントンJr(ts,as,ss)、キャノンボール・アダレイ(as)、ハンク・クロフォード(as)、ポール・デスモンド(as)、グラディー・テイト(ds)、アート・ブレーキー(ds)、レイ・ブラウン(b)、ジャコ・パストリアス(b)、ジェームス・ジェマーソン(b)、チャック・レイニー(b)、オスカー・ピーターソン(pf)、ミッシェル・ペトルチャーニ(pf)、ジミー・スミス(org)、トゥーツ・シールマン(harmonica)、クインシー・ジョーンズ(arr)、アントニオ・カルロス・ジョビン(pf,commposer)、バート・バカラック(composer)、ヘンリー・マンシーニ(composer) etc

 

■ 好きなボーカリスト

JAZZ; フランク・シナトラ、サミー・デイビスjr、ナット・キング・コール、ビリー・ホリデイ、SOUL; レイ・チャールズ、マービン・ゲイ、サム・クック、アレサ・フランクリン、カーティス・メイフィールド、ロバータ・フラック、マージー・ジョセフ、ブルック・ベントン、グラディス・ナイト、オーティス・レディング、ダニー・ハザウェイ、ビル・ウィザース、ボビー・ウーマック、 ロナルド・アイズレーBOSSA NOVA; ジョアン・ジルベルト、ROCK; ランディーニューマン、ジョーコッカー、カーペンターズ 、ポール・サイモン、ジェームス・テイラー、エルビス・プレスリー、ロッド・スチュアート、ビートルズ、etc

 

う~ん、まだまだいっぱい書ききれませんが、若い頃(1970年前後)に影響されたと言うか良く好きで聴いたミュージシャンは、僕はボーカルが好きだったので、やはりレイ・チャールズ、アレサ・フランクリン、マービン・ゲイ、それから楽器奏者ではウェス・モンゴメリー、ケニー・バレル、グラント・グリーン、ジョージ・ベンソン、パット・マルティーノ、スタッフ、マイルス・デイビス、B.B.キング、ジョン・メイオール & ブルース・ブレーカーズと言う所でしょうか。今は何でも興味ありますし、片っ端から色々なタイプのミュージシャン、色々なジャンルの音楽を聴きますが、若かりし日はやはり黒人の音楽が好きだったんですね。気分は真っ黒でした(笑)

■ 今まで見た”チョー感動した”コンサート” 「レイ・チャールズ」1971

まず最初は、ボクが高校の時、学校をサボってレイ・チャールズを新潟県民ホール(1971年)に見に行った時の事、多分レイの初来日!?ではないかと思いますが、衝撃的でした!!! 当時ボクにとってレイ・チャールズは、神様みたいに崇める歌手でした。初めて見る外人タレントですし、レイのコンサートに行った方だったら解ると思いますが、まずバンド演奏が1~2曲有って、それからレイがマネージャーに連れられてステージに登場してくる訳ですが、姿が見えた瞬間からボクのボルテージは最高潮でしたね。「愛さずにいられない」「ジョージア」「旅立てジャック」「アイ・ガッタ・ウーマン」、それから「What'd I Say」 あんなに一生懸命手拍子した事ないなぁ~「Long and winding road」でレイが泣きながら歌った事、勿論私も泣いて見てましたョ。今思い出しても、あの時の興奮蘇ります。レイはその後に3度ほど見ましたがどれもワクワクさせる物ばかりでした。何年か後に中野サンプラザに見に行った時の事ですが、当時レイのアルバム「Portrait of Ray」に収録されていた「Am I Blue」と言う曲にボクは参っていまして、一般的には知られていない曲でしたのでやって欲しいけど、こう言うステージではやらないんだろうなぁ~なんて思っていましたが、なっなんと!!やってくれたのです(驚) 勿論とめどなく涙が溢れて来ました、そういう時のレイはこれでもかと言うほどに感情移入をして迫って来ます、化け物です。そのあと演奏でシャッフルのブルースをやったのですが、結構長くレイのエレクトリック・ピアノのソロが聞けました。湯水の如くファンキーなフレーズが出て来て、驚きましたね、相当ピアノの上手い人なんだと言う事を再確認しました。それも強烈な印象です、と言う訳でこのコンサートも凄かったね!最初見た時とまた違った意味で感動しました

 

■ 今まで見た”チョー感動した”コンサート” 「マイルス・デイビス」1973

その次は Miles Davisを新宿厚生年金(1973) 新宿厚生年金で見たんだけど、まず異様なサウンドのバンプでマイルスが登場するのですが、マイルスの異様な衣装にも圧倒されました。最初の印象はグロテスクな感じがして、大きいサングラスとあいまって、マイルスが大きなハエに見えました、チョット例え悪かったかな!? レコードでも聴いた事が無かったサウンド感なのでとにかく異様なムードが会館をガーっと覆っているようでした。ライブで聴くと臨場感が凄くて、ゾクゾク来る様な、何ともいえない感じでレコードで聴いてた感じよりもっとファンクっぽかったですね。(今考えると「On The Corner」みたいなサウンドだったんだね) 初めてドラムのAl Fosterを知ったのもこの時でした、とにかく圧倒されました。特にに印象に残っているのは、ステージの上で唾を吐いたり、手鼻をしたりでマナーの悪い人って言う感じでした、多分コカインのせいなんだろうね、来日メンバーは、ピート・コージー(gt) レジー・ルーカス(gt) マイケル・ヘンダーソン(b) アル・フォスター(drs) エムトゥーメ(per) デイブ・リーブマン(sax)。やはりマイルス・デイビスには何ともいえない強烈なオーラを感じました。ジャズのミュージシャンでこの様な雰囲気をかもし出すミュージシャンはもう出てこないんだろうね。ステージも、マイルスのサインで止まったり、テンポが変わったり、とにかく曲の切れ間が無くて、どれもマイルスに管理、統制されて居る様な、何んともファンクなんですけど、永遠に続く様な、ちゃんとした曲が行われて居ない様な、不思議なサウンドでしたね。未だに緊張感あふれるあんな感じのステージは見た事無いなぁ~

それから、この1973年と言う年は、外タレの来日が目白押しでこの他にリターン・トゥー・フォー・エヴァー、スタン・ゲッツ、ジム・ホール etc まだ他に色々見に行きましたね~刺激的な年でした。

 

■ 今まで見た”チョー感動した”コンサート”  「CTI All Stars」1973

CTI all-stars (1973)を日比谷野外音楽堂で見た時の事ですが、ボクが憧れのタレントばかりでしたので、ホント興奮しましたね、メンバーは、ジャック・デジョネット(ds)ロン・カーター(b)アイアート・モレイラ(per)ジョニー・ハモンド(org)ジョージ・ベンソン(gt)フレディー・ハバードd(tp)ヒューバート・ロウルズ(fl)そしてスタンリー・タレンタイン(ts)そうそうたるメンバーですよね。ボクが憧れのタレントばかりでしたので、ホント興奮しましたね。一番印象に残っているのがステージングで ジャック・デジョネット(ds)から、1曲ごとにPer→Bass→Fl→Guitar→Organ→Tp→Ts とひとりづつメンバーが増えていくやり方でした、オシャレだなぁ~って思いましたね。それと圧巻だったのは、ジョージ・ベンソン(gt)のスロー・ブルースでした。チョーキングもなしに弾きまくるのですが、どんなに早く弾いても、ピタッピタッとフレーズが決まるので凄かったですね。スタンリー・タレンタイン(ts)の「Sugar」が始まった頃には、ボクの興奮度全開でした。もともとボクのジャズはCTIレーベルのジャズから始まりましたので、それはそれは夢心地の真夏の夜でした。ジャズもポップスのひとつとして理解している僕は、最近ジャズのコンサート見てもこの様に興奮して見る事が無いよなぁ~、ワクワクしないんだよね、テクニックだけ聞かされているようで・・・・それとも興奮しないなんて歳取ったせいかな!? コンサート見た帰りにはもう違うこと考えている時も有るものね!?取り敢えずまたこの翌年(1974)にCTI all-starsが来日した時にも見に行きました(新宿厚生年金会館)その時のメンバーは、Hank Crawford (as), Grover Washington Jr (as,ts), Hubert Laws(fl), George Benson (gt), Johnny Hammond (org), Ron Carter (b), Ben Riley(ds) 演奏した曲は、グローバーが「Inner City Blues」「What's Going On」「Impressions」ベンソンが「Summertime」クロフォードは、曲名は覚えてませんが止まりそうな超スローの曲とシャッフルのブルースだったと思います。クロフォードとグローバーの音数とムードの対比が印象的だった。それからボク的には、一番好きな時期のジョージ・ベンソンを見れて、今でも良かったと思っている次第です

 

■ 今まで見た”チョー感動した”コンサート  「スタッフ」1977

最後は Stuffをあの伝説的なイベントコンサート「ローリング・ココナツ・レビュー」1977年4月10日の最終日に晴海国際見本市会場で見た時の事ですが、ボクは待ちに待ったバンドでした。その前からこの人達の演奏は別々に各自聴いていましたので、Stuffと言うバンドが出来たと雑誌で知った時は、嬉しかったね。この時の来日メンバーはゴードン・エドワーズ(b) クリス・パーカー(ds) コーネル・デュプリー(g) リチャード・ティー(key)の4人です。確か一枚目のアルバムが出たばかりの頃じゃないかと思いますが、この時の興奮今も胸に有ります。確かStuffの出番が最後で、夜の12時位じゃないかと思いましたが、当時僕はディスコバンドにわずかながら所属していたのですが、結局どうしても見たくて、仕事に穴を空けてしまいました。あまりに興奮してて、もう仕事の事はどうでもいいなんて思える位でした、若かったんだね・・・・(懐) その後遅れて遅まきながらその仕事に行った時、怒られたのなんのって・・・でもそんな事より見てきた興奮が収まらなくて、怒られているのに、如何にコンサートが凄かったかを逆に説明しているんだもんね(笑)それを見たバンマスは呆れ返っちゃって、怒るのを諦めてしまいましたね、何ヶ月もそう言う興奮状態でした。若かったなぁ~(懐) 所で当時「スタッフ」のドラムが何でBernard Purdieじゃないんだろう?なんて思ってましたが、その年の11月だったと思いましたが後楽園ホールに全員揃ってStuffが来日した時、Steve Gaddのドラムソロを見た時、直ぐに納得でした。Steve Gaddのドラムソロが初めてですね、ドラムソロで感動を覚えたの・・・とにかくずいぶん見たなぁ~このバンド!! 余談ですが、この晴海のコンサートの模様を絶対1音残らず録音しようと思って、録音ポーズボタンを押していつでも録音出切るように待ち構えていたのですが、なにせバンドが十数個出ていたので、いつの出番か解らないまま、ポーズボタンを押したり解除したりしているうちに、肝心の電池が少なくなり結局4曲しか録音できませんでした、チクショー悔しい!!でも録音された4曲を今聴いても本当に最高です!前に出ていた十数個のバンドと明らかに違いましたね。のちにその時の音響のオペレーター(音響を仕切る人)の話を小耳に挟みまして解った事ですが、音響のセッティングと言うのはなかなか十数個もバンドが出演していると難しい事ですが、「スタッフ」の場合は全然苦労しなかったみたいです、ステージの中で自分達の生音がチャンとブレンドしているんですね。大人なグループだと思いましたもん(感心)余談でした。 このコンサートの八ヶ月くらい前だと思いますが。「Stuff Live At The Montreux 76'」も最近正式にDVD化に成りましたので、興味ある方は、見て下さい。それからこの、“ローリング・ココナツ・レビュー・ジャパン”。16chマルチテープで録音され奇蹟的に遺されたマスターから40年目に初めてミックスとマスタリングされてCD化になったみたいです。

 

他にも何本か有りますが、取り敢えず上記のこれらのコンサートが僕の興奮度NO.1のコンサートでした。若くて感受性が強い頃に素晴らしいコンサートを見る事は、凄く「肥やし」にも「糧」にも「エネルギー」にもなりますし、最高の思い出です。ちなみに「ローリング・ココナツ・レビュー」は色々なバンドが出て「イルカを救え」みたいなイベント的なロックのコンサート。ジョン・セバスチャンがコンサートリーダーで、他の出演者は、ジャクソン・ブラウン、デビッド・リンドレー、J.D.サウザー、エリック・アンダーソン、久保田麻琴と夕焼け楽団、上田正樹、ラストショウ、細野晴臣、イルカ etc 今思えばそうそうたるメンバーなのですが、僕は「スタッフ」以外の出演者は全然記憶に残っていないんですね。スタッフだけが大人のバンドに見えました。

 

ネットでの記述です「1977年4月、東京晴海の国際見本市会場で、"THE SEAS MUST LIVE"のメッセージのもと、日本とアメリカ、カナダの若者が主催。日米ほか30組、約80人のミュージシャンが無償で出演し、3日間で延べ15,000人の観客が参加した日本で初めてのベネフィット・コンサート、"ローリング・ココナツ・レビュー・ジャパン"。16chマルチテープで録音され奇蹟的に遺されたマスターから40年目に初めてミックスとマスタリングを行った。本イベント最終日4日目、4月10日のトリを務めたのは人気絶頂のスタッフ。エリック・ゲイルとスティーヴ・ガッドを欠いた編成ながらスケールの大きなテクニック、音の広がりやタッチ、リズム感などは、残りの4人だけでもヴィヴィッドですごいと今でも語られる伝説のステージ。アンコールの「Love the One You're With」のメドレーが終り4日間のほぼ全出演者が登場し「蛍の光」でコンサートが終ったのは夜中の1時だった。」

■「Troubadour Reunion Tour 2010」 キャロル・キング&ジェームス・テイラー

2010年4月14日・日本公演の初日「Troubadour Reunion Tour 2010」 キャロル・キングとジェームス・テイラーのジョイントコンサートが武道館にて有りまして、ヒット曲満載それは楽しいコンサートでした。キャロル・キングを見るのは初めてで、ジェームス・テイラーは見るの3度目です。やはりジェイムスの「You've Got A Friend」は格別です、最高です! それから「Copperline」を聴けるなんてビックリでした。良かった~ 「Shower The People」は、僕がジェームスで一番好きな曲ですね、一緒に歌いました(泣) それからサポートメンバーなんですが、Danny Kortchmar (g) 頑張っていましたね~最近はよく解んないんだけどプロデュース業の方が主体なんだろうね。決して器用なタイプのギタリストでは無いのですが、おじさんが頑張っているって言う感じでした。久しぶりのライブを楽しんでいる感じが良く解りましたね。ジェームス・テイラーのサウンドにはやはり一番フィットするギタリストですね。Leland Sklar (b) 相変わらずどっしりとしたグルーブで何も目立つプレイは無いのですがラス・カンケル(ds)との呼吸バッチリでやはり存在感のあるベーシストでした。 Russ Kunkel (dr)こちらの方もほんとシンプルなドラマーなのですがカッコいいって思わせるドラマーですよね。ブラシで8ビートを叩くのですが、ボリューム、ダイナミックスがバッチリなんですよね。歌手の人はやりやすいんだろうね、こう言うタイプのドラマーは・・・どの曲か忘れちゃいましたけど超カッコいいドラムのおかずが有りました。後のメンバーはあんまり馴染みの人では有りませんので割愛します。Robbie Kondor (key,pf) Arnold McCuller (vo) Kate Markowitz (vo) Andrea Zonn (vo, fiddle)です。やっぱりここにピアノのドン・グロールニックが居たらもっともっと楽しめたのになぁ~って思いましたね。素晴らしい音楽家でしたからね。ドン・グロールニックのソロで「Don't Let Me Be Lonely Tonight」聴きたかったなぁ~・・・そう言えば、この曲やらなかったなぁ~思い入れが有るんだこの曲(残念)キャロル・キング、とっても元気でした。ステージを右から左に精力的でしたよ。「Steamroller Blues」はジェームス・テイラーもテレキャスターを弾いてソロは無かったのですが音色は良かったなぁ~ ダニー・クーチマーより良かったね音色は。二人でジョイントコンサートするとヒット曲が余りに有るので、もっとレアーで聴きたい曲が有るのですが結局ヒット曲オンパレードになっちゃうんだね。お客さんも年配の方が多くて、本当にこの二人の事、バックのミュージシャンの事が好きなんだなぁ~って言うのが伝わってくるあったかいコンサートでした。てな訳で、久しぶりに楽しいコンサートでした。盛り上がって3時間近くやりましたね。

 

当日行なった曲です。1. Blossom 2. So Far Away 3. Machine Gun Kelly 4. Carolina In My Mind 5. Way Over Yonder 6. Smackwater Jack 7. Country Road 8. Sweet Seasons 9. Your Smiling Face 10. Song Of Long Ago 11. Long Ago And Far Away 12. Beautiful 13. Shower The People 14. (You Make Me Feel Like) A Natural Woman 15. Copperline 16. Crying In The Rain 17. Mexico 18. Sweet Baby James 19. Jazzman 20. Will You Love Me Tomorrow 21. Steamroller Blues 22. It's Too Late 23. Fire And Rain 24. I Feel The Earth Move 25. You've Got A Friend  アンコール 26. Up On The Roof 27. How Sweet It Is 28. Locomotion

 

■ 私の好きなギタリスト 「ウェス・モンゴメリー」   出生1923年3月6日、死没1968年6月15日(満45歳没)

僕にとって、ウェス・モンゴメリーという人は、「父親」みたいな感じに思える存在なのであります。ジャズ・ギターを精進して行く為のいつも燦然と耀いている「目標」で有り、「夢」で有り、また「帰る所」で有り「手の届かない星」なので有ります。僕等位の年代のギタリストは、そう言うプレーヤーが多いのではないでしょうか。僕が初めてウェス・モンゴメリーを知ったのはジャズのジャの字も知らない頃、勿論ウェス・モンゴメリーも聴いた事無い頃、ただ知っている曲がアルバムに入っているという事で「Road Song」と言うアルバムを買ったのがきっかけでした(1970年頃)。大して難しいアドリブも無く凄く聴きやすくて、これなら僕にも弾けるかなと軽い気持ちで始まった次第です。でも何と「ふくよかな音」だろう!それは凄く感じましたね。そして親指で全部弾いている事に、びっくりしました。知れば知るほどにとんでもない人なんだなぁ~って思いました。僕が知っているあらゆる音楽家で、こんなにスケールの大きさを感じさせる人は他にいません。このレコードからもう何十年も経っているのに何で古臭くないんだろう。今聴いても、最高ですね!こんな極上なイージー・リスニング・ジャズ作れたらいいね。今やスムースジャズの根幹であります。その次に購入したWESのアルバムは「スモーキン・アット・ザ・ハーフ・ノート」なんだけれど、最初 「No Blues」を聴いてもB.B.King,Eric Clapton等のブルースを親しんでいた僕は、ブルースに聴こえなくて、ジャズの構造も知識も持ち合わせていない僕は、どうなってるんだろうって思ってました、ジャズが何かを知らない時はさっぱりでしたね。当初は訳も解らず聞いていましたが、でもこれが不思議と毎日聞いていると、何となく身体の中に入ってくるものなんですね。ボクがジャズギタリストを目指すうえで、一番重要になったアルバムですが、最初はただ闇雲に聴いていた様な気がしますが、でも後は聴けば聴くほどに、ただただ格好良いなぁ~って思って来ましたね。その後はウェス・モンゴメリーのアルバム片っ端からって感じです。ウェス・モンゴメリーは脚光浴びて10年足らずで亡くなっちゃったんですが、こんなわずかな間に名盤と言える様な物ばかり残す事が出来たなんて脅威ですよね。ウェス・モンゴメリーのどんな所が凄くて好きかといいますと、まず「豊かな音色」「凄いグルーブ感」「高いアドリブの完成度」(歌を歌うみたいに、アドリブをくちずさめるなんて凄い事だよ、オクターブ奏法も含めてサウンド・ストーリーが明快)「驚異的なコードワーク」。初心者にもやさしい、熟練者に聴き応えの有る音楽家、相当クォリティーの高いミュージシャンでしたね。ジャズ・ギタリストとしての「完全な姿」をそこに見ちゃいますね。どれを聴いてもはずれのない音楽家です。ウェスって全然乗れない最悪な日って有ったのかなぁ~・・・アルバム「ロード・ソング」の後にクリスマスアルバムを企画していたらしいですが、大体想像は付きますが聴きたかったですよね!ジョージ・ベンソンの「Shape of Things to Come」と言うアルバムはウェス録音されるはずのアルバムだったみたいです。ウェスが亡くなったので急遽ジョージ・ベンソンが代役で録音したみたいです。アレンジも出来上がって後は録音と言う時の急死だったみたいでジョージ・ベンソンもその事を理解してたみたいです。このアルバムのジョージ・ベンソンは今でも好きです。それとネットで知ったのですが「ウエス・モンゴメリー・クアルテット契約も本人死亡により来日不可」と有りますが、それが本当だったら見たかった人、沢山居ただろうね。当時僕はまだウェスを知りませんでしたが・・・・

■ 私の好きなギタリスト 「ケニー・バレル」    出生1931年 ~

昨日、僕が自分で編集したケニー・バレルのCDを聴きました。「Poor Butterfly」etc。何てムードがあるんだろう!久しぶりに聴き入ってしまいました。メロディックで情感たっぷり、音色のふくよかさ、ここの所忘れかけていた「音楽」に対する感覚でした。一番良く聴いたアルバムは「Round Midnight」と言うアルバムなんですが、このアルバムのバレルの音色が一番好きです。太くて艶っぽくて、この頃どうしたらこんな音色を作れるんだろうって模索していましたね。ここの所、演奏のボルテージ/グルーブばっかりに気持ちが行っていたので、バレルを聴くと少し頭を冷やせと言われているみたいでした。クールに自然体でメロディックで情感たっぷり(バレルのギターを僕はいつもこう形容しています)で改めて素晴らしいプレーヤーなんだと思いましたネ。20歳前後の頃、ジャズを上手く弾きたいなぁ~って思っていた頃の忘れかけていた気持です。バレルは、当時僕が一番聴いていたジャズ・ギタリストでしたので・・・・ちなみによく聴いたバレルのアルバムですが、やはり70年前後の物です「Midnight Blue」「Recapitulation」「For Charlie Christian and Benny Goodman」「The Common Ground」それから何と言っても「Round Midnight」「Night Song」「God Bless The Child」「Handcrafted」です。まだ有りますが、その頃のバレルが一番好きです。それから最も好きなバレルのソロはオルガンのジミー・スミスのアルバム「The Sermon」に収録されている「Flamingo」のバレルのソロです、泣けて来ますね~

■ 私の好きなギタリスト 「グラント・グリーン」    出生1935年6月6日、死没1979年1月31日(満43歳没)

僕の中のジャズ・ギターのヒーローです。こんなに個性的に枠に当てはまらないで、自由に音楽したギタリストもそうはいないのではないでしょうか、プロの中でもグラント・グリーンのファンはかなりいます。コードワークがどうとか、フレーズがどうとか関係なくとにかくその時その時に自分なりに「歌う」と言う事に徹したギタリストでした。つまらないアルバムも有る事には有りますが、とんでもなくハッピーで、ファンキーなアルバムも数多くあります。高校生の時にNHK-FMで「Visions」に収録されている「Love on a Two-Way Street」、「We've Only Just Begun」と言う曲が流れて来まして、これだ!!って思いましたね。このレコードはたまんないなぁーっ、他にもグラントのアルバム素晴らしいの沢山有りますが、これは特に想い出に残っているんだ。日本ではこう言う種類の音楽、安っぽく見られて、あまり評価されないんだよね・・・・・僕はこんなアルバムが作ってみたいなぁーって常日頃思ってます、ハートフルだよね。それから「The Latin Bit」 と言うアルバム。こんなにノビノビ歌えたら最高ですね!グラント・グリーンは理屈無く楽しめるからね、自分自身煮詰まった時、良く聴きます、このアルバムの「Brazil」それにしても良く歌いますね!生きてる時に絶対見て置きたかった音楽家のひとりです。ビデオでも1曲しかないんだよね、もっとみたいよね!あの画面見るまでは、グラントって笑いながら楽しそうに弾く人かなぁーなんて勝手に想像していましたが、とんでもなかったですね。(最近はYoutubeにいくつか載っていますね)一音入魂なんですね、ぶっ飛びました。グラント・グリーンのギターを聴いているといつも思う事ですが、「ギターなんて難しく考えなくて、自分なりに歌えばいいんだよ」って言われている様な気がします。それから「Grant Stand」このアルバムの「My Funny Valentine」での演奏ですが、なかなかこんな風にホーン・ライクに弾けませんね、凄いなぁー・・・それから「Old Folks」ですが、ケニー・ドーハム(tp)が「Quiet Kenny」でもやっているのですが、グラントはこのアルバムをかなり聞き込んだのではないでしょうか、アプローチが凄く似ていますね。何かの雑誌で読んだのですが、グラントはあまりギターを聴かずに、サックス/トランペットの方を好んで聴いていたようです。短い間に数多くのスタジオ・ワークをこなしているのですが、どれも凄く生々しく,気持ちの良く表れているギタリストですね。今と違ってライブ感覚で録音していたんですね、少々のミスは気にしない感じです。自分も録音して解る事ですが、やはりファースト・テイク/セカンド・テイクが一番気持ちが良く出ているようです。何度かやり直しているうちにミスを恐れて、段々そつのないプレイに成りがちですが、やはりそんなボルテージで出来たテイクは、無難にまとまっているだけの、つまらないものに成ってしまいがちです。グラントのプレイのカッコ良さ、潔さは、こんなせこい気持を意に返さないからなんだろうね。他にも数多く名盤が有ります。特にオルガン・プレーヤーとの物はどれも楽しめます。僅か10年程で凄いアルバムの数です、今では考えられません。良い時代だったんだねきっと・・・

■ 私の好きなギタリスト 「ジョージ・ベンソン」    1943年3月22日~

この人に影響された方は僕達の年代から今の若い方までかなり居るんではないでしょうか。僕もその一人です。向かって行きたい所にビシビシ決まるフレーズ、粒立ちの良い音、ポップなのですが凄くジャズしてる所。ギター・ヒーローの一人ですよね。僕とジョージ・ベンソンの出会いは、やはり僕が佐渡に居たせいかジャズの情報はNHK-FMに頼る他なかったんですよね。それでいつも新聞のラジオ欄のの所をチェックです。当時割と頻繁に流れていたのがCTI・JAZZだったんですね。そこでフレディー・ハーバードの「Straight Life」と言うアルバムがかかりまして「Mr.Clean」と言う曲がジョージ・ベンソンの出会いが最初かな。カッコいいと思いましたね。それからアルバム「Beyond The Blue Horizon」と言うアルバムを聴きましてすっかり虜にと言う感じです。それから片っ端に聴きましたね。一番良く聴いたアルバムは「The Cook book」「Blue Benson」(日本版オムニバス)「Body Talk」です。ジョージ・ベンソンはデビュー当時は黒人のギタリストに有りがちな、ブルー・ノート、ファンキー・フレーズの連発でさしたるほどでもないのですが、ある時期から急速に発展を遂げました。何かが解ったんですね。そばにパット・マルティーノと言う強力なライバルも居たし、ウェス・モンゴメリーと言う素晴らしい先生も居たし、グラント・グリーンと言う兄貴分もいたし、多分ガボール・ザボなんかも凄く好きだったんだろうね。「Beyond The Blue Horizon」なんかは音色・フレーズ似ていますもんね。良い環境に恵まれたんですね。勿論本人の努力も半端なもんではなかったと思いますが、羨ましい限りです。 ジョージ・ベンソンには、あのアルバムのこの曲と言うのが数多く有りますが、特にやはり凄味も感じて素晴らしいのが僕の場合アルバム「Blue Benson」の中の「Billie's Bounce」です。スピードと言い構成と言い素晴らしいものです。この時期(Verbe)のジョージ・ベンソンはジャズ・ギタリストとしてひとつの完成を見たのではないかと思います。この他にベンソンのオリジナルの「I Remember Wes」でのジョージ・ベンソンはウェスの影響を包み隠さず発揮し素晴らしい内容です。この後にフュージョン・ギタリストとして徐々に花咲かせるのですが、この時期(1968年前後)のジョージ・ベンソンが今でも一番好きです。25歳ですよ凄いねぇ~参っちゃいます(感嘆) 後のジョージ・ベンソンは、CTIでスターに成り、またアルバム「Breezin'」からスター街道まっしぐらです。多分ジョージ・ベンソンはどんなにスターになっても帰る場所がジャズの世界だと思っていると思います。僕はどのジョージ・ベンソンを聴いても、いつもBe-Bopのフレーズを感じますので・・・ まだまだ数え切れない程のテイクが有りますので思い浮かんだらまた記載しますね。

追加記事;最近偉大なプロデューサーのトミー・リピューマの本(ベン・シドラン著)を読みまして、あの「This Masquarade」は演奏でラインアップされていた曲みたいですね。それをジョージ・ベンソンが片手間に歌ったら中々良くてそれで正式に録ろうと言う事に成ったみたいですね。それでグラミー賞。解らないものですね。

■ 私の好きなギタリスト 「パット・マルティーノ」    出生1944年8月25日~

私がパット・マルティーノを初めて知ったのは、20歳の時なのですが、アルバム「VISIT !」って言うアルバムでした。ウェスのトリビュート・アルバムで、スタンダードも入っているアルバムなので一発で気に入りました。このアルバムは当時事あるごとに繰り返し何度も何度も聴きました。それからはパット・マルティーノのアルバムは全てチェックであります。パット・マルティーノのギターの特徴は、正確なピッキング/早弾き、凄い集中力、深い表現力、それからメジャーの曲もマイナーに感じてしまうほど、ダークなイメージです。パット・マルティーノはのちに脳動脈瘤による記憶喪失に陥りリタイアすると言う苦しい時代も有りましたが、それを乗り越えて、強烈に復活してまいりました。凄い事ですね(驚) そのせいかどうかは知りませんが、若い頃は一弦が0.17だったと言う話ですが、今は0.15らしいですね。それでも凄いなぁー!!そんなギター弾けないよ・・・ちなみに僕がパット・マルティーノのアルバムで好んで聴くアルバムは、最初のリーダーアルバムの「EL HOMBRE」と「VIST」「WE'LL BE TOGETHER AGAIN」「EXIT」「CONSCIOUSNESS」、「EAST !」それから最近の物では「INTERCHANGE」です。サイドメンではCHARLES McPHERSONとの「FROM THIS MOMENT ON」WILLIS JACKSONの一連のアルバムの中でのプレイと各オルガンプレーヤーとのパット・マルティーノのいいプレイが好きです(昔パットは結構オルガンプレーヤーとプレイしていますね)著名なギタリストでもパット・マルティーノ・フリークのギタリスト数多く居ますが、テクニックだけを頂いても、ギタリストの雰囲気って言うのはその人それぞれですので、パット・マルティーノ・フリークの他のギタリストはあんまり好きになれません。あの凄い集中力と深い表現力はパットだけの物であります。上記に挙げたアルバムは私の永遠に愛すべき愛聴版です。あと僕はギタリストの教則ビデオ/DVDは見ない方なのですが、パット・マルティーノの教則ビデオだけは一番好きなビデオです。彼の「幹」となる所のテクニックが沢山見れるので嬉しい限りです。「Both Side Now」のソロギターでのパットのピッキング信じられませんね。コードをアルペジオで綺麗に追っかけるなんて凄いなぁ~! それと中に挿入されている「I Sing the Blues Every Night」と言う曲のパットはレコードになっているものより素晴らしいです。1996年に初来日した時見に行きましたが、この曲もやりました、やはりスローは格別でした! パットは早弾きばかり取り上げられますが、僕が本当はビックリする所は、ロングトーンなのです。ギターでの生音で出すロング・トーンと言うのはホーンの人達と違って音の減衰も有りますので、中々難しい事です。パットもリバーブを深めにかけると言うのは、そう言う意味合いも有ると思いますね。ギターにとってサスティーン(音の伸び)をかせぐという事は非常に大事な事です。だからギターと言う楽器にみなさんこだわるのではないでしょうか。あと僕は映像チックな音楽家が好きです。音楽を聴いて頭の中で色々な映像、想像が広がらないミュージシャンは、どんなに上手くてもサウンドが良くても好きになれません。僕だけの音楽家への好き嫌いの基準です。取り敢えず、パット・マルティーノは、僕が最も影響を受けたギタリストのひとりです。余談ですが、何かの雑誌で読みましたが、ジョージベンソンと歩いてたらウェスとグラントグリーンに会って、 マルティーノ、ベンソン、グラントグリーン、ウェスの四人で会食したと言う記事が載っていましたが、一緒に切磋琢磨する人間がこのメンツじゃ、羨ましいですね。

■ 私の好きなギタリスト 「ジョー・パス」   出生1929年1月13日、死没1994年6月25日(満65歳没)

僕にとって、ジョー・パスという方は、教科書そのもののギタリストでした。最初に聞いたアルバムは何と言っても「For Django」こんな風に弾けたらなぁ~っていつもレコードに合わせて弾きましたね。見本になるフレーズの宝庫でした。ケニー・バレル、グラント・グリーン等のギタリストは音色にもフレーズにもリズムの乗り方にも凄く個性的で、マネするとどんどんそのものに近づいて行くようで、結局コピー、物まねのような感覚になりますが、ジョー・パスはフレーズをいただいても、自分なりに消化すれば自分のニュアンスで弾けるので、凄くそういう意味では勉強になりましたね。それから良く聴いたレコードと言えば「Catch Me」「Simplicity」「Intercontinental」、あとハーブ・エリスとのライブアルバムの「Seven Come Eleven」は良く聴いたなぁ~ハーブ・エリスはジョー・パスの事尊敬していたみたいですので、その暖かさが伝わってくるアルバムでした。この頃のアルバムは、いまだに聴いたりしますね。端正に暖かいフレーズを弾くジョー・パスは最高です。「Virtuoso」「Montreux 77'」Ella & Passの「Take Love Easy」が出た頃からは当時あまりの衝撃でただ聴くだけになってしまいましたね。今では凄いテクニシャンも数多くいらっしゃいますが、当時はとんでもない事でしたね。今でこそボーカル&ギターのデュオは当たり前になっていますが、これからガラッと変わりましたね。それ以前にも有る事は有ったのですが、衝撃的でした。未だにあらゆる分野でフィンガーピッカーで誰が一番好きか凄いかと言えば、やはり僕の場合はジョー・パスと言う事に成りますね。他の偉大なギタリストと共にギターと言う楽器の可能性の窓口を広げた何人かのうちの一人だと思います。「Simplicity」に入っている「Who Can I Turn To」と言う曲のジョー・パスは素晴らしいです。僕の教科書です。凄く長生きしたように思いましたが亡くなったのが65歳だったんですね~・・・意外でした。やはり突き詰めた人は短命なのかな。

■ 私の好きなギタリスト 「エリック・ゲイル」 1938年9月20日 ニューヨーク州ブルックリン市 ~ 1994年5月25日(満55歳没)

とんでもない凄いギタリストが世の中にはいますので、勿論沢山のスーパーギタリストからの影響を私は受けましたが、エリック・ゲイルほど有る時期ですが私が影響を受けたギタリストはいませんでした。エリック・ゲイルのギターを最初に拝聴したのは、クインシー・ジョーンズの「ウォーキング・スペース」でした。僕が高校生の頃です。それからエリック・ゲイルのギターもどんどん脚光を浴びて行くにしたがって、どんどん引き込まれる様に聴きあさりましたね。何年か前に僕が友達に作ったエリック・ゲイルのオムニバスCDは好評でしたよ(自己満足)エリック・ゲイルのギターはギタリストの中でも特異なタイプだった様に思います。ギタリストは得てして、技術やメカニックな事に走りやすい楽器であります。勿論その呆れる位のテクニックで人を感動させる事は出来るのですが・・・何かの雑誌のインタビューで読んだのですが、「あなたの様にギターを弾くにはどうしたらいいですか?」と言う問いにエリックは、「出来るだけ遅く弾く事だよ」って言ってたのを記憶しています。そう言う風にいい返すプレーヤーは早々いませんよね。でもエリックの神業の様に早弾きするのも知っていますよ。なんたって最初のソウル・ジャズギターのスターですからね。エリック・ゲイルのアルバムで珍しい所では、GREG HATZAと言うオルガンプレーヤーのアルバムで「ORGANIZED JAZZ / THE WIZARDRY OF GREG HATZA」(1962年収録)、日本での録音で酒井潮さん(org)のトリオで「BLUES IN MY SOUL」(1978年収録)と言うのが有ります。エリックらしいジャズギタープレイが聴けますね。エリックのそのワンフレーズが聴きたい!って言うアルバムを数えたらきりが有りません。エリックの存在がそれらのアルバムのインパクトを高めていたような気もします。他にも色々なギタリストを聴き、拝見しタイプが違えど他にも素晴らしいギタリストは星の数ほどいますが、エリック・ゲイルの様な思い入れたっぷりのプレイは、他に類を見ないと思っています。当時多感だったボクは本当に影響されましたね、何度涙をいただいたでしょう。ですので今は、なるだけ聴かないようにしています。私もギタリストですので、あまりにも一人のミュージシャンに影響を受けるのはどうかと思いますので・・・・エリック・ゲイルのギターで「感情移入」すると言う事を学んだ様な気がします、とても深いギタリストでした。数知れずの名演に感謝であります。

追加記事;興味深い記事です。「当時ラッキーだったのは知人の紹介でジョン・コルトレーンを紹介され毎日ジョン・コルトレーンの家で偉大な先輩達のセッションを見聴した青春時代はゲイルの魂の財産となり限りない叡智の世界へ開花させた。ジョン・コルトレーンは来日したとき持ち帰った高橋竹山のレコードをエリックに聴かせながら三味線とギター絃の違いを熱心に教えたと伝えられている。ゲイル節といわれる独特なギター・フレーズはジョン・コルトレーンからの影響が大きい。」Wikipediaより

■ 私の好きなギタリスト 「コーネル・デュプリー」 1942年12月19日 テキサス州フォート・ワース ~ 2011年5月8日(満68歳没)

2011年5月8日、テキサス州フォートウォースの自宅で亡くなりました、68歳。 ここ数年、肺気腫を患っており、日本に来た時も酸素吸入器をしながらの演奏だったらしいので、永くはないのかなぁ~て思っていましたけど・・・・僕の思い出なのですが、昔日本のブルーノートにデュプリーが来た時に自分が録音した物を殆ど持っていないと言っていましたので、再び日本のブルーノートに来た時に楽屋を訪ねて、僕が考えるデュプリーのベストテイクをカセットテープに編集して直接差し上げた時、奥さんと一緒に目を丸くして大喜びしてくれました。それと録音した後、聴いた事もないテイクも有ったみたいでビックリしていましたね。あれだけのスタジオワークをこなしたので意外と自分がプレイした音源を持っていないんですね。かえってファンの人の方が「コーネル・デュプリー」を知っていたりして・・・ひょうきんな人で、沢山の素晴らしいパフォーマンスを頂いたので、ただただ合掌です。これであの素晴らしきフュージョンバンド「スタッフ」でご存命は、スティーブ・ガッドとクリス・パーカーのドラマーだけに成ってしまったね。(寂) 1993年東京ブルー・ノートにハービー・マンのメンバーで来日した時のデュプリーはピアノの盟友リチャード・ティーが亡くなり急遽ギター・トリオ・プラス、ハービー・マンのステージだったのですが、バッキングの雰囲気の良さにギタートリオと言うのも忘れるくらいノックアウトされました。やはり只者ではない人でした。僕が大好きなコーネル・デュプリーのアルバムは、「Donny Hathaway - Live」「Brook Benton - Story Teller」「Hank Crawford - Help Make It Through The Night」「Hank Crawford - We Got A Good Thing Going」「Margie Joseph / Margie」そして何んと言ってもブルック・ベントンの「Rainy Night in Georgia」、イントロはこの曲の定番となりました。その他まだ沢山有るのですが、思い出したら書き足しますね。やはりコーネル・デュプリーの20歳代後半から30歳代の1970年代のが最高です。最高に洒落たブルースマンでした・・・

 

■ 私の好きなギタリスト 「デビッド・T・ウォーカー」   出生1941年6月25日~

僕がデビッドとの初めてのアルバムの出会いは、アルバム「David.T.Walker」でした。1974~75年位ではないかと思います。最初の印象は「何て喋る様にギターを弾けるんだろう」って言う感じでした。まさにボーカル的なギタリストと言う感じでした。デビッドのチョーキングは、誰にも真似る事の出来ない秀逸なものですよ。デビッドのタッチ/ニュアンスたまりませんね、最初にしびれた曲はアルバム「David.T.Walker」の「Only Love Can Break Your Heart」でした。アドリブも大してないのですが、歌を聴いてる様な心地よい感じがしたんですね。それ以来デビッドに関してず~っとそんな感じです。Ode Labelでは、「David.T.Walke」(1973)「Press On」(1974)「On Love」(1976)名盤ですね。この三枚はデビッドの魅力をを凝縮してますが、やはりその他、歌伴の時のデビッドはその曲を何倍にも引き立たせますね。特にマービン・ゲイの「Live」ボビー・ウーマックの「The Poet]、「The Poet ll」、マーリナ・ショウの有名なアルバム「Who is This Bitch,Anyway?」ジョニー・ブリストルの「Bristol's Creme」マージー・ジョセフの「Feeling My Way」、その他曲単位でしたら数知れずです。 この人も何度も見に行きましたね。最初にデビッドを見たのは、クルセーダースで来た時ですが、やはり他のメンバーの誰よりも魅力的でしたし、受けていたように思います。それから青山のBlue Noteにルー・ロウルズでコンサート・マスターで来た時のデビッドは、とんでもなく素晴らしくて、ルー・ロウルズが焼きもちを焼くくらいでしたよ

■ 尊敬、そして愛うすべき 「サッチモ」    出生1901年8月4日、死没1971年7月6日(満69歳没)

ルイ・アームストロングで「What A Wonderful World」は勿論ですが、有名な黒人霊歌の「Nobody Knows The Trouble I've Seen」が一番好きな曲です、久しぶりに聞きました、サッチモのトランペットって、ホントに泣いてるみたいに聞こえるんだよね、あの満面一杯の笑顔とは違う「誰も知らない私の悩み」が有ったんだろうなぁーなんて想像してしまいます。何かの雑誌で見ましたが、サッチモの険しい顔写真、結構恐い顔してました。人間には色々な側面が有りまして、表に見える部分だけではないんですね。あの笑顔の奥には様々な思い、経験が有って奥深さを感じますね。69歳で逝ってしまったんですね~意外と若かったんですね。サッチモは偉大な人で、尊敬する人です。「What A Wonderful World」は、ずーっと何十年、何百年も歌い継がれる曲だと思いますし、あの何とも言えないトランペットの音色はいつの時代でもヒットするもので有ります。

■ 大作曲家 「バート・バカラック」    出生1928年5月12日~

私の大好きな作曲家です。どの曲にも哀愁、そして暖か味を感じます。よくこんなに素晴らしい曲を書けるなぁ~って尊敬しますが、こんな人にも大スランプが有ったんですね。一生懸命やればやるほど「産みの苦しさ」と言う事が有るんだろうなぁ~・・・私みたいな凡人には計り知れない事で有ります。バート・バカラックは、数多くの素晴らしい作品を残して居ます。バカラックの曲の特徴はコール・ポーターみたいに小節の概念がまちまちな所です。インストでやるにはそれなりに工夫をしないとアドリブをやるには困難な曲が多いですがメロディーを弾いているだけで気分良くなっちゃうね。バカラックの曲も良くライブで演奏しますよ。僕にとって最高にロマンチックにさせて貰えるアーティストです。ちなみに主な代表曲です。「リバティ・バランスを射った男」「恋の痛手 (Only Love Can Break a Heart)」「ドント・メイク・ミー・オーヴァー」「ウォーク・オン・バイ」「ハウス・イズ・ノット・ホーム」「世界は愛を求めてる (What The World Needs Now is Love)」「何かいいことないか子猫チャン (What's New Pussycat?)」「アルフィー」「恋の面影 (The Look of Love)」「小さな願い (I Say A Little Prayer)」「サン・ホセへの道 (Do You Know The Way to San Jose)」「ディス・ガイ (This Guy's in Love with You)」「プロミセス・プロミセス」「雨にぬれても (Raindrops Keep Fallin' on My Head)」「恋よ、さようなら」「遙かなる影 ((They Long to Be) Close to You)」「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」「愛のハーモニー (That's What Friends Are For)」etc

■ 私のブルースギターの基 「Eric Clapton & B.B.King」B.B.King 出生1925年9月16日、死没12015年5月14日(満89歳没)    

私が本格的にギターにのめり込むようになったのは、エリック・クラプトンとB.B.Kingを聴いてからですね。ジョン・メイオール&ブルース・ブレーカーズの「John Mayall with Eric Clapton」B.B.King (Beale Street Blues Boy) の「Live & Well」この2枚のアルバムが、僕には刺激的で何年も繰り返し聴きましたね。アドリブに目覚めたのもこのアルバムが最初でした。自分をギターにのめり込めさせ、夢中にさせたのもこの2枚からであります。チョーキングというのもこの二人からです。今でもたまに聴きますが、それはやはり変わらず最高のアルバムで有ります。みんなに長く愛されたブルースギタリスト、この二人とも共通している所で有ります。とにかくこの二人を聴いているうちにジャズを聴くきっかけにして貰えました。ウェス・モンゴメリーを聴いたら、マイルス・デイビスそれからケニー・バレル、ジョージ・ベンソン、ジョン・コルトレーン、グラント・グリーン、エリック・ゲイル、パット・マルティーノetc、それと同時にどんどんロックと遠ざかって行きましたが、この歳になってふりかえると自分のギターの根っこは、やはりこの二人の様な気がします。やはり沢山の影響を受けました。

追加記事;二人のコンサートの思い出ですが2014年だったかな、クラプトンがスティービー・ウィンウッドと来日した時に武道館に見に行ったのですが、気持ちのこもらない演奏を聞いて残念な思いで帰って来ましたね。ギタリストとしては僕のクラプトンはクリーム時代までですので解ってはいたのですがそれにしてもつまらないコンサートだったなぁ~・・・クラプトンを良く見に行く人に聞きましたが、たまにこう言う事が有るそうです。B.B.Kingは、アルバート・キングとのジョイントライブで有明エムザと言う所で1980年代後半だと思いましたけど見ました。B.B.Kingのバンドはなかなか洗練された感じで構成も素晴らしいライブでした。アルバート・キングのバンドは恥ずかしくなる位のバンドでした。お金をケチって素人みたいな安いミュージシャンを使っていましたね。

 

追加記事;先日(2018.12.10)「12小節の人生」と言う映画を見てきました。CREAM以前の映像も有って最初の方はやはり面白かったね。十代の頃からかなりのセッションを積んでいたんですね~羨ましい限りです。どの凄いミュージシャンを見てもそうですが、十代、二十代半ばくらいまでにかなりの努力と経験を積まなければ行けないんだなぁって言う事を、垣間見ましたね。クラプトンの場合は毎日がブルースだったんだね。育ちも恵まれていなかったみたいなのでギターしかなかったんだね。マーチン・スコッセッシの

■  破天荒で破滅的な私の愛すべきミュージシャン、ジャコ・パストリアス  出生1951年12月1日、死没1987年9月21日(満35歳没)

ジャコをDVDで見たりCDで聴く度に音楽家そしてパフォーマーとしての質の高さをいつも思います。波乱な人生、そしてチャレンジ精神旺盛なやんちゃなジャコ。それに反して何とも言えない位深いバラードのプレイ。僅か35歳で色々な事残していったワンアンドオンリーな愛すべきプレーヤーで有ります。1983年の来日した時、新宿厚生年金で見た時の事です。やはり音楽もファンキーでしたが、ジャコのステージングがまた常軌を逸していたようで、音はすれどジャコの姿が見えず、どうしたのかなと思ってざわざわしていたら、2階席で弾いていて2階からジャンプして1階席に飛び降りようとしていたらしく、係が止めたとの話を後で耳にしたのですが、ぶっ飛んでいたんですね。それから僅か4年で亡くなりましたが、波乱、破天荒と言う言葉はジャコのためにある言葉のようです。しかしそれが悲しくもあり、愛おしくもある所であります。音楽を突き詰めようとする人のつらさも垣間見ます。音楽がすべてを物語っているような気がします。

■ 何とも不思議な Toots Thielemans 出生1922年4月29日、死没2016年8月22日(満94歳没)

僕がTootsを初めて知ったのは、Quincy Jonesのアルバム「Smack Waterjack」だったかな。「Smack Waterjack」の中で「ギター・オデッセイ」と言うブルースの変遷みたいな曲が有りまして、Jim Hall, Eric Gale, Toots, Joe Beck が共演するという感じの曲でして、Tootsを知るきっかけがギタリストとしての方が先でした。口笛とギターソロを一緒にプレイ、なんて適用なんだろうって思いました。今聴いても4者4様で楽しい曲です。クインシーの企画両力凄いです。所で本題のTootsのハーモニカ、あらゆるジャンルにカメレオンの様に溶け込む力、それでいて一発でTootsと解る個性、色々なジャンルの人がTootsに興味を持って録音を依頼する気持分かりますね~Youtubeを検索するとジャンルのまばらな事、限りないです。しかもどれも個性的、ハートフル、あらゆる器楽奏者の中の歴史の中でもその個性、燦然と輝きますね。僕は一度だけ昔、有楽町のよみうりホールのコンサートを見に行った事が有りまして、カルテットだったのですがハーモニカ、ギターを駆使してそれは楽しいコンサートでした。MCも人を笑わせる茶目っ気たっぷりの人で、エロいオヤジな感じでしたね。プレイの内容もやはりギタリストとしても素晴らしい人なので、ハーモニカだけをプレイしてきた人とは趣が違うみたいです。もうこんな感じの人は出て来ないんだろうね。カメレオンみたいに与えられた音楽に溶け込めますが、本人はいたってToots Style のままと言う稀有なミュージシャンです。こうありたいものですね~素晴らしい!余談ですジョン・レノンがリッケンバッカーを使用するきっかけは、Tootsを見てからだそうです(ウィキペディアより)

 

■ エルビン・ジョーンズへの追悼記事 出生1927年9月9日、死没2004年5月18日(満76歳没)

ジャズ・ピアニストのハンク・ジョーンズが弟の偉大なドラマー、エルビン・ジョーンズへの追悼記事です。兄弟、互いに尊敬し合って仲がいいと言うのは素晴らしい事ですね。素晴らしい記事だったので全文紹介しますね。

 

「エルビンは家族全員にとって、とても特別な存在だったんだ。末っ子だったというだけでなく、生まれたのは兄弟全員の物心がついてからだったから、皆にとっての”ベイビー(大事な人)”だったんだ。家族全員が本当に彼を愛していたよ。私の両親は音楽が大好きで、レコードを2000枚近く所有していたんだ。我々兄弟はそのレコードを聴かせてもらって音楽への憧憬を深めていったので、エルビンも物心つく前から音楽に触れていた。父はプロではないけれど、ギターを弾いていたし、母もプロではないけれどピアノを弾いていた。私が練習する時も聞耳をたてていたしね。そういう環境が影響して、彼も音楽の道を志したんだと思う。私がJATPに参加していた頃、エルビンはオハイオ州コロンバス近くの空軍にいたんだ。JATPの公演がその近くであると必ず来ていたよ。エルビンがJATPのドラマー、バディ・リッチを尊敬していたからね。JATPに飛び入りした事も有ったんだよ。10年の軍役を努めた後エルビンはデトロイトの有名な”ブルーバード”でサド(ジョーンズ)やビリー・ミッチェルらとハウス・バンドの一員として活躍し始めるんだ。”ブルーバード”にはNYから錚々たるミュージシャンが演奏しに来たから鍛え上げられたと同時に、共演したミュージシャンの間で「すごいドラマーがいる」と評判になったんだ。その頃私はNYで活動するようになっていて、評論家のレナード・フェザーが処女本を書くとというのでインタビューされた時にエルビンの話もしたんだよ。その本は大ヒットしたから、読者もデトロイトの凄腕ドラマーに興味を抱いたろうね。色々な要素が相まってエルビンはNYに拠点を移す前に、既に伝説的なミュージシャンになっていた。彼のドラミングは燃える炎のようで、エネルギーが溢れていて、情熱的で・・・共演者だけでなく、聴く人をみな魅了し、インスパイアした。他の人には決して真似の出来ない物を持っていた。だからこそ先駆者として時代を切り開いていったんだと思う。精力的に世界中を回り、アメリカだけでなくヨーロッパ、日本など各国で演奏した。卓越した演奏力だけでなく、その精神に世界中が感銘を受けたんだ。残念だと思うのは、彼とあまり録音する機会が無かったことだ。サドともそうだが、記録として残せた物は自分達で考えるよりも少ない。いつでもチャンスがありそうで、なかなかお互いの道が交差しなかったという事実は、今悔やんでも仕方が無いが、本当に残念だ。幸い2年前、まだエルビンが最高の演奏をしている時にリチャード・デイビスとのトリオで素晴らしい録音が出来たが、それ以外でもっと一緒に演奏すればよかった。一人の人間としての彼は彼は教養も高く、知識も深く、どんな話題だって語り合えた。一緒にいて本当に楽しい相手だった。正直しばらくはこの悲しみを拭い去る事は出来ないと思う。兄弟の中で、わたし一人しか残されていないんだ。二人の姉も、そして弟たちが私より早世してしまったんだ。この悲しみは例えようもない。"Good Die Young (優れた者ほど早死にする)”と言われるが、その通りだと思う。サドもエルビンも自分を愛し、信じるものの為に寿命すら削って献身的に人生を捧げた。家族としてはそこまでせずに、もっと長生きしてくれれば良かったのにと言う気持ちがある一方で、素晴らしいドラマーが最後まで自分の信念を通したことに心から敬服する。彼がいなくては、現在の音楽は存在し得なかった。彼が後世に影響を与える数々の偉業を成し遂げてきた素晴らしいドラマーだったということは、人々の記憶と記録に誰も消すことの出来ない事実として残るから・・・。(全文紹介)

■ レイ・チャールズ物語~わが心のジョージア~  出生1930年9月23日、死没2004年6月10日(満73歳没)

”わが心のジョージア~レイ・チャールズ物語~”最近読んだ本です。 感情豊かな人で”完璧主義”のレイでありましたが、実は謙虚で、身の程を知っている人だったんだね。亡くなる少し前のインタビューだったのですが反省と感謝の言葉が連ねられて有りました。特に印象的だったインタビューを紹介しますね。「有名になったミュージシャンは沢山いるが、ジャクソンビルやダラスにいた何十人と言うミュージシャンも、有名になった連中の何倍も凄かったんだ。彼等はただ知られることなく終わっただけなんだよ。私のバンドを考えてみてくれ。みんなファットヘッド・ニューマン(sax)とハンク・クロフォード(sax)は知ってる。間違いない。だが誰もドナルド・ウィルカーソン(tp)やジェームズ・クレイ(sax)、リロイ・クーパー(bs)、マーカス・ベルグレイブ(tp)、ジョニー・コールズ、クリフォード・ソロモン(sax)は覚えていない。彼等はコルトレーンやマイルスと肩を並べられるくらいの連中なんだよ。かれらについて書いてくれ。彼らの事を忘れないでくれ。彼らのおかげで今の私があるんだ」「他に書きたいことは?」「ミュージシャンたちを傷つけたって事だな」「どういうこと?」「急ぎすぎたと言うことだ。忍耐力がなさ過ぎた。すべてに完璧を求めすぎた。感情的になりすぎた。言うべきではない連中にずいぶん暴言を吐いたものだ。わかるだろ? 私はいつもドラマーに厳しい。私のリズムがわからない時には罵ったりした。失礼なことをしたと思う。連中をずいぶん傷つけたと思う。傷つけたんだ。そういうみんなに伝えてくれ。私はそんなにひどいクソッたれ野郎ではないって。彼らに伝えてくれ。私にも感情があったんだ、と。今、彼らの気持ちがわかるんだよ。彼らに、私はとても感謝しているって言ってくれ。伝えてくれ・・・・、ただ・・・・、ブラザー・レイはみんなを愛しているって・・・」 彼は泣き始めた。あんな泣き方をするレイを私はいまだかって見たことがなかった。(本文から)

■ 達人・サミー・デイビス・ジュニア   出生1925年12月8日、死没1990年5月16日(満64歳没)

私は、サミーの1985年パリでのユニセフのコンサートDVDを持っていまして、最高のライブDVDで繰り返し見ているのですがその素晴らしさは見れば見るほどです。サミーの「オール・マン・リバー」は天下一品です。最高に私の胸に迫って来ます。この間、Youtubeでサミー・デイビス・ジュニアを見ていましたら、やっぱり凄い人だったんだなと再確認して感動しまくりでした。私が経験、歳を重ねるにしたがって良さが解った最高の人で有ります。フランク・シナトラもそうで有ります。サミーは歌も素晴らしいし、タップダンサーとしても、楽器の演奏、俳優としても、それから物真似、トーク、その他色々なパフォーマーとしても超一級品で有ります。こう言う人がいたからアメリカの華やかな芸能界のグレードが高いんですね。差別が露骨に有る時代に育って生きて来た方なので、相当努力された方なんだろうな~サミーの笑顔の中には深い深い味わいが有ります。凄いなぁ~凄い人だ・・・それにしてもフランク・シナトラ、ディーン・マーチン、ジョニー・カーソンのラスベガスでの絡みのショーは面白いね~バックもカウントベイシー楽団、指揮者クインシー・ジョーンズだし、チョー豪華だね。素晴らしい! 今のショービジネスで豪華さを感じる事がなくなって来ましたね~

■ 愛おしいマービン・ゲイ   出生1939年4月2日、死没1984年4月1日(44歳没)

マービン・ゲイは逸話の多いシンガーですが、彼の愛おしいセクシーな歌声は、未だそれを超える歌手にお目に掛かった事が有りません。「I Want You」僕にとって最高のヒット曲です。Youtubeでもその曲のリハーサル風景がアップされていますが、それは中々の物ですよ。ヒット曲が数多くありますが僕が一番好きな曲はアルバム「Let Get It On」に収録されている「IF SHOULD DIE TONIGHT」です。彼のセクシーさが僕には満喫できます。マービン・ゲイは「黒いフランク・シナトラ」を目指していたんだよね。歌手としての力量はとんでもなく素晴らしいもので未だにマービンを超えられる歌手は居ないように見受けられます。ストイックな人ですが本人も相当の自信家のようですね。余り脚光を浴びませんが作曲家としても超一流でした。マービンは79年に日本に来ているんだよね、なぜ見に行かなかったんだろう!?確かジャズトランペット奏者のアート・ファーマーかなんかを見に行って行けなかったんだよね。まだ何度も来るシンガーだと思ってもいました(残念)マービンの武道館でのライブの海賊盤持っていて、聴くんだけど、やはりイイ感じです。生きていればコンピュータミュージックにも適応出来ていましたので、未だに感情の発露を満喫できる凄い歌手だったように思います。テクニックだけの上っ面の歌手が多い時代、好きな歌手がドンドン居なくなるなぁ・・・

■ 奇人・才人  ジョアン・ジルベルト   出生1931年6月10日、死没2019年7月6日(88歳没)

ジョアン・ジルベルト、この人も逸話の多いシンガーでギタリストですが、彼のあの平坦な歌い方から凄く感情表現が伝わってくる稀有なボーカリストです。ジョアン・ジルベルトを知ったのは私が20歳を過ぎた頃「Getz/Gilberto」と言う大変有名なアルバムで月並みですが、知る事となりました。最初はなんだかぼそぼそと歌う人だなぁ~くらいの印象しか有りませんでした。それよりギターでボサノバのリズムをきざむ方が、勉強の対象でして、こんな風に味わい深くギターを弾けたらなぁ~なんて思っていましたが、どんどんとこのぼそぼそした歌い方が病みつきになって来るんですね。このアルバムでボサノバのイロハを知り、多くを学びました。特に好きな曲は「Para Machuchar Meu Coracao」です。色々逸話の有るレコードですが。ところで何年か前にNHK-BSのドキュメンタリーで「世紀を刻む・イパネマノ娘~青春のメロディーの栄光と挫折~」という番組が有りましたが、ボサノバと言う当時ニュー・ミュージックを創り出すジョアンとジョビンの苦悩と葛藤を描いた番組でしたが、とても興味深く見ました、ジョアンは腱鞘炎に成るほどに今は当たり前となっているボサノバの刻みを練習したんですね・・・それでこの名盤「Getz/Gilberto」が出来上がった訳ですが、ジョアンとジョビンの共演はそれきりだったんですね。色々な出来事で仲違いしてしまったんですね。意外でした。でもジョビンが亡くなった時にジョアンを取材した時、何分か取材を続けるうちに、ジョアンが泣きじゃくって取材にならなかったそうです。仲違いしても心の奥では絶えず繋がっていたんですね、それは何とも言えない感動があった番組でしたよ・・・しかしそれから続きが有ったんですね。「Chega de Saudade」ほか何曲か亡くなる前のデュオライブがYoutubeで見れますよ。楽しそうだね。暖かいコンサートだよね、見たかったね。やはり何も云わなくても音楽で語り合っているように見えました。音楽は素晴らしいね。好きなアルバム、好きな曲多々あります。「Amoroso」(1976)美しいなぁ、この人は本当の意味で、ワン・アンド・オンリーな方だと思います。この人にしかない世界ありますもんね。今やジャズでもポピュラーになりました「Estate」「Zingaro」と言う曲を、初めて知ったアルバムでも有ります。ホント独特の世界ですね、凄くソウルフルな物を感じます。ジョアンでは、この他に僕が好きなアルバムは「Joao Gilberto」「Ela E Carioca」が好きで良く聴きました。

■ 最高の癒し・ジェームス・テーラー   1948年3月12日~

私がこの道を目指し上京した時に、当時流行っていた「寂しい夜 (Don’t Let Me Be Lonely Tonight)」でした。勿論当時は、今と違ってヒット曲の流れる期間がゆるやかでしたので「Fire and Rain」「君の友だち」等はいつもラジオから聞けました。彼のトゲの無い歌声と、メロディックで親しみのある曲は何とも、不安だらけの毎日に少しの癒しと希望をもたらしてくれるものでした。のちに3度武道館で見る事が出来ましたが、やはりジェームス・テーラーの数ある名曲、ヒット曲の中で「君の友だち」(作曲はキャロル・キングです)は極上で有りました、涙が止まりませんでしたね。この曲は白人、黒人色いろんな方が歌っているス素晴らしい曲なのですが、やはりジェームス・テーラーの「君の友だち」は特別でしたね。それから何と言っても彼のフォークギターの響きは、これもまた唯一無二の物であります。一人で弾いていてもどこかストリングスの響きだったり、ピアノの響きが聴こえて来そうな、ふくよか豊かな音色・コードワーク、彼の声と相まってそれはそれは素晴らしいです。フォークギターをあんな風に弾けたらなぁ・・って思わせられる最高のプレーヤーです。私にとって何かに生きずまったり、煮詰まったりした時に癒される最高の音楽家で有ります。

■ 日本の尊敬するプレーヤー

僕がまだ20代の頃の事ですが、「海野浩児とクールサウンズ」と言う5人編成のバンドが有りました。普段は松尾和子さんの長年のバックバンドを務めていたんですが、それとは別に六本木の「カサブランカ」と言うお店で松尾和子さんの仕事が無い時には毎日そこでギグをしていました。僕はそのバンドに月に10日間位エキストラと言う形でお邪魔するのですが、凄く勉強になりましたね。”音楽”そのものを勉強した様な気がします。「カサブランカ」と言うお店は、毎日フルオーケストラも出演していて「海野浩児とクールサウンズ」とそのフルバンドで交互に演奏するのですが、今考えるとそれだけのミュージシャンを抱えるなんて豪華なんですね。それはさておき僕はまだ若いからバンバン弾きまくりたくてしょうがないんですね。でも大先輩の海野浩児さんはタイミング良く選び抜かれた気の利いた音をスーッと吹くんですね。何てオシャレなんだろうって思いました。演奏中に何度も涙腺がやばくなりそうな事も有りましたね。自分勝手にパラパラ弾く事、反省しきりです。音楽をレコードで学ぶ事は勿論なのですが、リアルタイムで身近な人から身体で覚える事はその何十倍も勉強になる事でした。海野さんのバンドは地味ではありましたが、他の日本のどのバンドより素晴らしいバンドだと僕は思っていました。またこう言う素晴らしいプレーヤーと会話をする様に、また物語を聞く様にプレイしたいなぁ~って今はつくずく思います。そしてこうやって僕も音楽を”伝承”されたんだなってつくずく思います。

■ 片桐幸男 UNIT4   結成2012年1月~

私のバンド「片桐幸男 UNIT4」について触れたいと思います。

私と愛弟子・渡辺庸介と都内の小さなお店で数多くデュオライブをする中で、彼の目覚ましい成長と共にバンドでもライブしてみようかと言う事で2012年1月に都内のライブハウスを皮切りに始まったバンドです。

【渡辺庸介】彼のギターと僕のギターは、何よりもリズム、グルーブ感が一緒だったので彼の素直な性格と相まって凄くやり易かったのです。彼とはとあるライブハウスで3時間半ぶっ通しでライブした事も有りますね。お客様に「君たち休憩はないの?」って言われる事もしばしで有ります。僕もそうなのですが、休憩するくらいならずーっとギターを弾いていたいタイプなので、本当に彼はギター小僧でしたね。今は諸事情により、可能性を残したままギター活動をいったん休止していますが、彼と切磋琢磨した楽しい期間が有りましたので、また再開したら是非やりたいね。

【和田弘志】私の長年の友であり信頼出来るベーシスト・和田弘志さん。1974年辺りからの付き合いでもう半世紀。

最初に会った時から変わらずお茶目で、場を和ませていつもリラックス。何も言わなくても僕の音楽的な意図をすぐさま理解して貰えます(感謝)楽器の比率はウッドベースの方が多いのですが、昔のソウルフルな感じのエレキベースも素晴らしいです。色々な経験を踏んで来ましたので対応能力抜群のベーシストです。

【佐藤唯史】色々アイディア満載のパーカッションの名手・佐藤唯史さん。彼とは2009年に「UNIT4」を結成する前にとあるライブハウスで一緒する事が有りまして、パーカッションなのにドラム的でもあり、また場面場面に絵を描ける凄いプレーヤーだなと感心して即私がライブする時に声掛けをして、それからUNIT4を立ち上げる時にメンバーと言う感じで有ります。とにかくやる度にアイディアの宝庫でパーカッションの可能性を無限に感じさせて貰いました。パーカッションがこんなに面白い楽器なんだと初めて体感で有ります。私のアルバムを良く聴いて貰えれば彼の凄さが解ると思います。彼の存在が無くして私のアルバムが成立しなかったかもですね(感謝)

 

ある時期、僕にはリーダーアルバムには縁が無いのかなぁ・・なんて落ち込む時代も有りましたが、その後こういったメンバーに支えられて本当に感謝、感謝、感謝で有ります。また色々な事に挑戦したいと思います。

このメンバーで2014年、結成3年目でファーストアルバム「The Begining」(2014年)を制作しました。私の初リーダーアルバムと言う事も有って、今聴いても熱量を感じさせてくれるアルバムです。セカンドアルバム「Remenber」(2019制作)、サードアルバム「Thinking About You」はゲストプレーヤも交えて本来のアコースティックバンドから、エレキギターもフィーチュアーして来ましたので、最初と趣が変って来ましたがメンバー、ゲストプレーヤーの力添えも有って聴きやすいバラエティーに富んだ素晴らしいアルバムになったと自負しています。

■ 人格者・チャック・レイニー  出生1940年6月17日~

僕がチャック・レイニーを最初に知ったのはクインシー・ジョーンズの「Walking in Space」(1969年)と言うアルバムでした。それから、ありとあらゆるアルバムのクレジットを見て凄い人なんだと思いました。ソウル・ベースノのリックの塊のような人ですね。ありとあらゆるチャック・レイニーのプレイの中でも特に好きだったのは、Percy Mayfieldの「Sings Percy Mayfield」それから、Aretha Franklinの「Amazing Grace」です。もっと沢山あるのですが特にと言う事でこの2枚。Aretha Franklinの「Amazing Grace」最近その伝説的な教会のライブがDVD化になり拝見しましたが、もっと臨場感がわきましたね~。ミック・ジャガー、チャーリー・ワッツ、ハンク・クロフォード等が見に来てたんですね。ところで昨年の暮れに(2018年)ひょんな事からチャック・レイニーさんとミニライブのギグする事が出来、何とも言えない至福の時を過ごす事が出来ました。初めてお会いしてプレイは言わずもがなのですが、まず御一緒して感じた事は、謙虚さでした。チャック・レイニーさんは音楽に凄く謙虚で純粋でそこには名前の大きさ、レジェンドで有りながらもただただ音楽をより素晴らしいものにしようとしている姿が凄く身近に感じたところです。あれだけ凄いミュージシャンとのキャリアが有りご自分もとんでもないプレーヤーであるにも関わらずとにかく凄く謙虚な人。チャックさんも若い頃、日々のギグ、現場で色々な事を学んでアイディアを絞り出して生きて来たんだろうなと思います。キング・カーティス、エリック・ゲイル、デビッド T、等から色々な事を学んだ事、仕事も繋いで貰った事、そしてその事に凄く感謝している事、僅かながら二人でお話し出来て凄く感じた所でありました。ともかく僅かな時間で有りましたが、憧れていた素晴らしい音楽家とギグ出来た事、お話出来た事、貴重な財産でありました。80歳を気にプレーヤーとしては引退されたと聞きましたが、沢山の素晴らしいプレーに賞賛と感謝したいです。

ジミ・ヘンドリックスとマイルス・デイビス

私は高校生の頃ジミヘンの「Smash Hits」と言うオムニバス的なアルバムを購入しまして、僕の中ではこの辺りのジミヘンしか詳しくありませんが、当時は一時そればかり聴いている時期有りましたね~『紫のけむり』はやはり衝撃でしたね〜 ジミヘンを崇拝しているギタリストは数知れずですね。マイルス・デイビスはジミヘンとアルバムを作りたかったみたいですね。でもジミヘンの遅刻でマイルスとの共演無くなったみたいですね。共演したら、どんな感じだったんだろうね。ジミヘンの強烈さに喰われたりして。マイルスは改革者だから、そこの刺激の為にやりたかったのかもね。もしくはジミヘンを取り込んでロックファンを抱き込みたかったのかもね。後のマイルスの『Jack Johnson』と言うアルバムは、マクラグリンにジミヘン見たいに弾いてくれと言ったみたいだから、あのマクラグリンも強烈ですが、ジミヘンがやったらもっと違った形になっていたかもね。マイルスがWOWOWペダルを使うのはジミヘン見たいに吹きたかったからと言う諸説有りますね。所で私の友達が、ジミヘンの国歌は特別だと言っていましたが、まさにそんな感じがします。ベトナム戦争真っ盛り。しかしこのアメリカ国歌5分くらいの演奏⁉️ですが爆弾が飛んで来る感じとか映像観ているみたいですね〜ジミヘンのギタースタイルは、時代の申し子の様に感じますね。公民権運動、ベトナム戦争、真っ只中たがらね。音楽も自己主張が激しい時代ですよね。コーネル・デュプリーのジミヘンに対する回想です。仲が良かったかどうか知りませんが色々リックの交換はしたみたいですね〜キング・カーティスバンドで一緒だった時は、矢張り音量がでかいのと時間にルーズだったみたいで、それでクビだったみたいですね。ギターのスタイルは派手だったけど、凄くシャイで、あそこまでやっているのを見るのは、可哀想だなぁってデュプリーは、思っていたみたいですよ。

■ チェット・アトキンスの追悼記事   出生1924年6月20日、2001年6月30日(満77歳没)

素晴らしい記事です。真摯にギター、音楽に向き合った巨匠の言葉です、読んでみて下さい。

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